大阪高等裁判所 昭和44年(ツ)14号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕上告理由第二点について
原判決理由によれば、昭和三三年頃、上告人重治を本件土地上の建物所有者とし、上告人定雄を右建物の占有者として、被上告人より本件土地の明渡請求訴訟が提起され、その結果、上告人両名は被上告人に対し、昭和三九年六月末日限り本件建物を収去して本件土地を明渡すこと及びその他の附帯的条項を定めた本件和解調書(甲第一号証)が作成されたところ、その後昭和三八年七月二一日に至り、鷹合小学校で開催された日赤奉仕団の役員会の終了後畠中孝ら原判決挙示の数名の被上告人の所有土地の借地人と上告人定雄が参集した席上において、被上告人と上告人定雄(これを上告人重治の代理人と解釈)との間に、本件土地の賃貸契約が結ばれたものであるが、その賃料については、本件土地を空地と仮定した世間相場によるものとし、後日これを決定することとしたが、被上告人の翻意により、右賃料の額は、結局確定することができなかつた、との事実を認定したものである。
そして、賃貸借契約が結ばれる場合に、賃料額の決定を後日に保留しても、その決定が比較的円滑に行われる見込があり、その決定段階の紛議により賃貸ないし賃借の意思自体が動揺し、契約の成否にまで影響するような事態を生ずる惧れが予想されない場合においては、賃料額の決定とは切離して、即ち、賃料額が如何様になろうとも、賃貸借だけは確定的に成立せしめる意思を明らかにした場合には、これにより契約の成立を確定し得ることは、比較的稀ではあつても、決して肯定できない訳のものではない。しかしながら、反面において、賃貸借契約は、その内容である賃料の額、敷金その他の金銭的条件、期間、目的物の使用目的などの確定と不可分的にその成立の意思が決定される場合も極めて多く、むしろこれが通例の事態であることは経験則上明白であると言い得るところであつて、これらの契約内容が全部未確定のままで、しかも契約だけは成立せしめるというような場合は、これらの契約内容に関する協定が容易であつて紛議の惧れが少く、これらの問題が契約の成否に影響を及ぼさないことを契約当事者双方があらかじめ承認した上での意思であることを捕捉し得る場合でなければならないところ、本件における契約締結の交渉の為された場面は、被上告人と上告人等が数年間の訴訟係争を経て、漸く和解調書が作成されて、被上告人としては、その執行待機期間中であり、しかも右和解調書には単に本件土地建物の収去明渡の条項に止まらず、その他の附帯的条項が存在することが明白で、その中には、延滞賃料ないし損害金の支払方法、又は、明渡等の履行完了によるこれらの全部又は一部の支払の免除等の条項が存在することも、通常の事例に徴して容易に推測し得るところであつて、もし果して本件土地建物につき、収去明渡の執行を放棄し、賃貸借を継続又は新たに賃貸借を為す等の形式により、目的物の使用収益を継続せしめることを決定した場合には、これとともに、これらの附帯的条項による金銭的権利義務の処理を為す必要が存することも当然に想定し得るところであつて、これらの事項は、比較的軽微である点で、これを切離して後日の処置に任せることも勿論可能ではあるけれども、これを前記の契約内容の決定と同様、契約の成立に際して不可分的に決定して、はじめて契約成立の合意に達する場合も多く、むしろその方が事態として通例であると考えられる。ところが原判決は、当時の客観的事態であつた本件和解調書を債務名義とする執行力の存在の状況下において、本件契約の成立が、右和解調書による決定事項の覆滅的改訂の結果を生ずるところから、これらの事項についても、契約の締結に際し何等かの具体的又は抽象的な合意の存在、又はこれに関する個々の当事者の意思の動きを捕捉する必要のある点に思いを致すことなく、これらの事項の処理についての関心を確めず、かつ契約内容の一切を未決定のまま、契約当事者よりも、むしろ第三者の関与の多い会談の場で、たやすく賃貸借の成立の点だけを肯定した点(なお、賃料の決定方法として世間相場を採るにあたり、本件土地を、空地であるものと仮定したとの点についての認定が、その拠るべき証拠を欠いていることは、上告論旨指摘の通りである)については、その事実認定につき経験則に反した廉があることを認めない訳にはゆかない。そうすれば、上告は理由があること明白であるから、他の上告理由に関する判断を省略し、原判決を破毀し、さらに審理判断を為さしめるため、本件を大阪地方裁判所に差戻すを相当と認め、民事訴訟法第四〇七条第一項に則り、主文の通り判決する。 (宮川種一郎 林繁 平田浩)